内容紹介
本誌は、環境雑誌natureの、2012年アースデイ特集の復刻版です。 完売後もアースデイの歴史を忘れて欲しくないために、データを起こしました。
アースデイ運動を日本で初めて行った、光永勇会長のインタビューをはじめ、 アースデイの経緯や年表まで細かく掲載。
2012年当時の関わった人々のイベントや記事も紹介しています。
毎年10万人規模に人が集まる日本最大の環境イベント。何故アースデイがあるのか、人々が興味を示すのかを勉強してみるPOD書籍です。
環境汚染から始まるアースディ運動:1990年、当時、日本では各地で環境汚染が問題となっていた頃で、沖縄でも工場からの排水、家庭からの雑排水、また養豚用地からの排水などによる汚染が問題となっていました。そこで、綺麗な海、綺麗な川を願う人の会というのが出来たのです。ただ、願うだけの会だったので、参加者が参加しやすく、次の行動へと移れるように何か始めようと考えていたときに、アメリカで「アースデイ」という環境運動があるということを知り日本でも出来ないかと考えて、歌手の加藤登紀子、喜納昌吉、活動家の藤本敏夫らに声をかけてイベントを始めたのがきっかけなのです。
沖縄県那覇市総合体育館で開催したイベントでは、藤本氏が講演を行い、加藤登紀子は「エンドレスラブ」という歌を歌い、その歌は大ヒットしたのです。その時、政治は政党を超え、宗教家も活動家も一堂に会し、一万人が集まる集会となりメッセージを伝えました。それが第一回のアースディとして、その後は日本全国へと広がっていきました。
現在では全国各地で毎年開催される環境イベントに成長しています。
ですから、当時は、今のようなスタイルではなくて、一つの抗議運動のようなかたちで始まったのです。
そして、私たちは「ラブ・アース」「シンク・アース」推進事業運動本部というのをつくり、環境にいいものを実際に作ったり事業化を進めていきました。ところが、環境で儲けるということが当時は不純という考えが強く問題が出てきてしまったのです。なので運動と事業を分けてアースディは純粋な環境運動として続けていきました。そしてその後、エコロジーとエコノミーの融合というカタチで発展していったのです。
ところが、アースディは思想を超えるといいながら、思うような運動にはならなくなって、思想、セクト、国境、宗教を越えることが出来なかったのです。これでは続けても意味が無いと思い実行委員会に発展的解消を提案し再起動というかたちにしました。
それから各自が思い思いのカタチで関わって自分で出来る方法で活動していくという自由な運動となりました。
今では、ニコル氏が日本でのアースディの顔となり毎年東京代々木で行われるアースディ東京では思想を超えて集まる大イベントとなっています。
これからはアースディのあるところに行って応援するだけではなくて、アースディのないところに行ってアースディを作っていく、いいエネルギーをどんどん広げていく、そういうことをやっていきたいと思っています。
アースデイ大会長 光永勇
※本誌から抜粋